日本競馬史上、初めて1分7秒の壁を破った馬~(俺は)名馬(だと思う)物語~

こんちわ~す。館山速人で~す。

アシスタントの大澄晴香です。今日は久しぶりの(俺は)名馬(だと思う)物語ですね。

ぶっちゃけある程度論理的に説明すればいい予想記事を書くより、感情を文章にしなくてはいけない名馬紹介の記事の方がエネルギーが遥かにかかるからね。(;^_^A

まぁ、今後も名馬物語に関しては自分のペースで更新していくよ。

ところで、晴香ちゃん。1997年のシルクロードSは日本競馬史を語る上ですごく重要なレースだったんだけどどうしてかわかる?

さぁ?どうしてでしょう?

それは、「日本競馬史上初めて芝1200mの勝ちタイムが1分7秒を切った」レースだからだよ。

今日はそのレースの勝ち馬

エイシンバーリン

について紹介していくよ。

ケガにも負けず快足でならす芦毛の牝馬

エイシンバーリンは1992年アメリカで生まれた芦毛の牝馬。当時は外国産馬と言えば「2歳(現年齢表記、以下年齢表記は現年齢表記、レース名除く)から活躍できる」即戦力としてのイメージが強く、この馬もご多分に漏れず、早くから活躍を見せていた。

具体的には京成杯3歳Sで2着、阪神3歳牝馬Sで3着、フェアリーS2着と重賞で立て続けに好走すると、年が明けるとクイーンC、アーリントンCと連勝。両レースとも軽快なスピードを生かしての逃げ切りで、いかにもマル外の快速馬といった趣だった。

その後は若駒によく見られるソエ、いわゆる骨膜炎の症状が慢性化し、実に1年7か月の休養を強いられることになる。

復帰が叶ったのは4歳の9月。復帰4戦目のキャピタルSで久々の勝利を上げると、翌年京都牝馬Sでも約2年ぶりとなる重賞制覇を遂げ、短距離界で一目置かれる存在となっていた。

当時の短距離は高松宮杯(当時)が距離を2000mから1200mに短縮したうえでG1に昇格して2年目。それまでスプリンターズSのみ、1年に1レースだったスプリントG1が2レースになったことで、より路線自体の価値が高まっていた時期だった。

そしてエイシンバーリンも、その時流に乗ってかデビュー以来3戦目となる芝1200m戦、シルクロードSに参戦した。

1.06.9というエポックメイキングな出来事

迎えたシルクロードS。当時の京都はいわゆる「超高速馬場」と呼ばれるような時計が速くスピードを問われる馬場。レコードの更新も期待されていた。

ゲートが開くと、エイシンバーリンはいつもの通り、テンのダッシュ力を生かして先頭に立つ。その後ろをぴったりとフラワーパーク、ヒシアケボノ、2頭のスプリントG1ホースがマークする形。息の入らない流れになった事もあり、エイシンバーリンには厳しい展開に思えた。

しかし、実際は逆であった。3コーナーから4コーナー、坂の下りを上手く利用して加速した鞍上・南井克己騎手の好判断もあってか、4コーナーの出口では後続に捕まるどころか、むしろ差を広げていた。

ヒシアケボノは早々に一杯になり、フラワーパークも伸びを欠く中、それでもエイシンバーリンのスピードは衰えない。直線半ばでも差は広がる。結局最後は熾烈な2着争いを繰り広げるビコーペガサスらを尻目に4馬身差で余裕の逃げ切り勝ちをしてみせた。

勝ちタイムは1.06.9。

この数字は単に当時の日本レコードと言うだけにとどまらず、「日本競馬史上初めて1200mの勝ちタイムが1分7秒を切った」というエポックメイキングなものでもあった。

個人的なイメージで言わせて頂ければ、現代競馬においてこの出来事は、「菊花賞の勝ちタイムが3分を切ったとしたら」感じる衝撃と同等だと思う。それくらいのことをエイシンバーリンは成し遂げたのである。

昨今、「日本競馬のスピード化」「異常な高速馬場」というような文言が良くも悪くもみられるが、ある意味では、このシルクロードSはその流れを生み出したともいえる。そう言う意味でエイシンバーリンは間違いなく歴史に名を遺す「名馬」と言えるだろう。

その後のエイシンバーリンは勝利こそ上げられなかったものの、シルクロードSの次走高松宮杯で2着、翌年レース名が変更になった高松宮記念でも3着に入るなど、コンスタントに結果を残し続け、6歳の冬、スプリンターズS10着を最後に引退。

まだ子孫から目立った活躍馬は出ていないが、いつの日かその快速ぶりを受け継いだ産駒が出てくるのを心待ちにしたい。

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