大きなイチモツをください~思い出のジャパンカップ~

こんちわ~す。館山速人で~す。

今日は内容が内容なだけに晴香ちゃんはお休みです。

今日のブログは「思い出のG1」シリーズとして「思い出のジャパンカップ」を紹介します。

タイトルと「晴香ちゃんがいない」と言う事から察せた方も多いと思いますが、今日紹介するのは1997年、ピルサドスキーが勝ったジャパンカップです。

この年のジャパンカップは戦前3強ムードが漂っていた。

1番人気はバブルガムフェロー。前年3歳(現年齢表記 以下同)馬で初めて天皇賞を制し、この年のG1も宝塚記念、天皇賞2着と安定して結果を残していた。鞍上は関東の名手岡部幸雄騎手。

2番人気はエアグルーヴ。この年の秋の天皇賞でバブルガムフェローとの叩き合いを制し、17年ぶりに牝馬としてこのレースを制した。鞍上は天才武豊騎手。

3番人気はピルサドスキー。前年のブリーダーズカップターフ覇者で世界最高峰のレース凱旋門賞を2年連続2着と名実ともに「世界最強」の一角に数えられた名馬。鞍上はエプソムダービーや凱旋門賞も制した世界の剛腕マイケル=キネーン騎手。

この中で特に注目されていたのはピルサドスキー。その理由はもちろんこの煌びやかな経歴もあるが、このレースを最後に引退しJRAが購入、日本で種牡馬入りすることが決まっていたことも影響していた。ある意味ジャパンカップは日本生産界に向けての「お披露目」の場でもあったのだ。

ジャパンカップ当日。パドックに現れたピルサドスキーの姿を見た観客は騒然とする。

5本脚の馬がいる……。

ピルサドスキー自身は「ここが種牡馬としてのお披露目の場」でもあることを承知していたのか、お仕事道具をおっ勃てながら登場したのだ。いわゆる「馬っ気(※)」と言うやつである。

※馬っ気……………ぽっ((*ノωノ))。

G1で上位人気の馬がパドックで馬っ気を出しているという前代未聞の事態。俺っちの長い競馬人生の中で後にも先にもこの時だけ。テレビも人気馬のパドックを映さないわけにはいかないから、”ナニ”をブラブラさせた馬の映像がお茶の間に流れ続ると言う、なんともシュールな展開となった。

「そりゃそうだろ」と言う話ではあるが、そんな状態になっている馬は競馬ファンの間では「切り」が定石。パドック党の競馬ファンがこの馬を敬遠したこともあって、それまで1番人気で推移していたピルサドスキーにはレースの時は3番人気まで落ちた。

しかし…、

武豊騎手をして「あの手ごたえのエアグルーヴを差す馬がいるとは思わなかった」と言わしめた力強い末脚で内をついて差し切り勝ち。「うわぁ世界にはこんな強い馬がいるんだ!」と今度はレースでファンの度肝を抜いた。

この年の末に放送されたTV番組「さんま・清の夢競馬」で杉本清さんが語ったところによるとピルサドスキーはこれが”クセ”らしく(どんなクセや!)、レースの時、特に好調時はいつもこうらしい。世界にはこういう個性的な馬もいるんだなぁと思ったものである。

種牡馬としての「やる気」を思う存分見せたピルサドスキーだったが、この時の種牡馬事情はサンデーサイレンス、トニービン、ブライアンズタイムと言った3大種牡馬が幅を利かせており、なおかつ馬場も高速化が進んでいる中で典型的なヨーロッパ血統のこの馬には活躍するのは難しかったのか、初年度産駒の2歳勝ち上がりは0頭と種牡馬としては大苦戦。最後まで重賞を勝つ馬を出すことは出来なかった。

種牡馬としては成功したとは言い難いピルサドスキーではあるが、強い外国馬が来なくなった昨今のジャパンカップを思えば、こういう強烈な個性?を放つ強豪を見てみたいと言う気持ちは増すばかりである。