三度の覚醒~思い出の安田記念・改~

※こちらのブログは昨年に投稿しました「思い出のG1~安田記念~」のリライト記事になります。

競馬を見ているとどうしようもない「カタルシス」を感じる瞬間が訪れることがある。例えば、それは「馬券を1点で当てた時」もそうだろうし、「推し馬がG1を勝った時」も感じるだろう。

俺っちにとって、それを強く感じるときのひとつに「苦手だと思われていたことを克服して勝利をあげた瞬間」と言うのがあげられる。

それまで雨が苦手だと思われていた馬が重馬場を克服し勝利した瞬間や、59キロを超えるような斤量をものともせずに勝利する馬を見ていると「サラブレッドの可能性の広さ・深さ」を感じることが出来、それが先述の「カタルシス」に繋がるのだ。

2010年の春、俺っちにその「カタルシス」をたった2ヶ月の間に3度も感じさせた馬がいた。それが今日紹介する

ショウワモダン

という馬である。

6歳春までのショウワモダン

ショウワモダンは2004年社台ファームに生を受けた牡馬。父は安田記念、マイルCSを同年に制した名マイラーのエアジハード。

それもあってかショウワモダンは2歳夏のデビューから一貫して短距離からマイルの距離を中心に使われ、3歳の春にはスプリングSで4着と好走。その後は重賞では上位に入れなかったものの秋の東京開催で1000万クラス(旧クラス表記、以下同)を1戦で勝利すると、翌年2月の斑鳩S(1600万クラス)を勝ち上がりオープン入り。その時点ではオープンで勝てず、夏に降級して再び1600万条件になったものの、秋の東京開催で再度このクラスを勝利。晴れてオープン馬となった。

翌5歳シーズンはオープン特別で2勝をあげ、オープン馬としてそれなりの地位を築き、6歳になる頃にはオープン馬としてそれなりの地位を築いていたショウワモダンであったが、一方で俺っちを含む多くの競馬ファンにとってショウワモダンには2つのイメージが定着しつつあった。

1つは「中山巧者」と言うイメージ。

5歳時にオープンで馬券になった4つのレースの内3つは中山のレースだったし、その内勝利した2レースはいずれも中山コースであった。

もう1つは「重馬場巧者」と言うイメージ。

こちらも5歳時にオープンで馬券になった4つのレースの内2つは重馬場、もしくは不良馬場で行われたレースで、生涯を通じて芝・重馬場の成績が【1/1/0/0】、不良馬場の成績が【2/0/1/1】と言う事を見ても、この考えに間違いはなかったと思う。

「狙いどころや強みがハッキリしている馬」と言えば聞こえはいいが、正直な印象としては「そのどちらか、あるいは両方の条件が揃わなければ重賞では足りない馬」と言うイメージで、6歳春に中山記念で初めて重賞で馬券圏内に入る3着と好走を見せた時も「まぁ、得意な中山な上に不良馬場でもあったからね。」とさして気に留められるような存在ではなかった。

しかし、ここからショウワモダンの大覚醒がはじまる。

次々とそれまでの「イメージ」を打破

東風Sで3着に入った後(実はこのレースはショウワモダンが初めて『オープンで2走連続で馬券圏内に入ったレース』でもあった)、重賞であるダービー卿CTに挑戦。

このレースは好スタートを決めてすっと好位にとりつくと、終始余裕を持った手ごたえで2番手追走。直線で前を行くマイネルファルケを捕らえると1馬身のリードを保って快勝。自身の記録した上がり3F33.7はこれまでの自身最速上がりである34.0を更新する記録であった。

強者しかできない横綱相撲と言えるレースぶり、それまでパワー型と思われていた同馬が初めて33秒台の上がりを使ったこと、それらから多くの人が「あれ、この馬強くなってるんじゃないか?」と感じ始めたレースだった。

続いてショウワモダンは東京のオープン特別メイSに出走。前走で晴れて重賞ウイナーとなったショウワモダンではあったがこのレースはそれまでオープンに上がってからは全く実績のない東京コース。斤量も59キロと背負わされたこともあり、単勝人気は14.7倍の6番人気と決して評価は高くなかった。

レースは快足の逃げ馬として知られるシルポートが引っ張るハイペース。マイル重賞としては比較的スローとなったダービー卿CTとは一転した流れ。そんな中ショウワモダンのレースぶりもダービー卿CTとは異なる後方からの競馬となった。

直線、鞍上の後藤浩輝騎手の手綱に導かれで、ショウワモダンは縫うように馬群の間を抜けてくる。すでに重賞を何個も勝っているんじゃないかと思わせるような目を見張る末脚で前を捕らえると、最後は1馬身3/4の差をつけて快勝。59キロの斤量を物ともしない完勝にダービー卿CTの勝ち方が本物であったことを知らしめた。

そしてショウワモダンは中1週のローテで安田記念に参戦。

俺っちはその2戦のあまりの鮮やかさに「もしかしたらここでも勝つんじゃないか」と言う思いもあったが、さすがにG1は甘くないと馬券は押さえに留めた記憶がある。俺っち以外のファンも多くがそう感じたようで2連勝しているにもかかわらず単勝人気は13.9倍の8番人気と、あくまで「伏兵」の1頭という立ち位置だった。

レースはエーシンフォワードが前半4F44秒台で逃げるメイSを超えるハイペース。ショウワモダンはメイSと同じように中団からレースを進める。

メイSと違ったのは外枠を引いたことで馬群の外々を走ることになった事で、直線馬群を縫うようなレースぶりをする必要はなくノビノビ走れること。それを生かして残り200mでショウワモダンは先頭に並びかけた。

しかし、そこから先はさすがにG1、簡単には抜け出すことが出来ない。内からはスマイルジャックとトライアンフマーチ、外からはスーパーホーネット、いずれもG1で2着がある実力馬たちが「悲願のG1制覇」を狙って襲い掛かる。しかし、ショウワモダンはそれらの実績馬との追い比べを制して、見事G1ホースとなった。

この時、俺っちは馬券を外していた。にもかかわらずショウワモダンが1着でゴールを駆け抜けた時、「カタルシス」としか表現できないような得も言われぬ興奮と爽快感を感じた。

「たった3カ月前まで一介のオープン馬に過ぎなかった馬がG1ホースに上り詰める。」

これほど競馬の面白さと、サラブレッドの神秘性を体現したレースはなかなかないだろう。

勝てなくなったショウワモダン、それでもその輝きは色あせない

その後のショウワモダンは、某漫画の最終回のような表現になるが、この3戦に全てを出し尽くしてしまったのか、続くレースからはウソのように大敗を繰り返した。

馬券圏内に来ることはなく、掲示板に載ったのも僅か1回。しかし、それでも俺っちの中でショウワモダンの魅せた3連勝が色あせることはなかった。

俺っちの中では、「安田記念」と言えばウオッカが圧倒的不利から大逆転勝利をおさめたレースでも、ロードカナロアが距離不安説を一笑に付して勝ったレースでもなくこのレースがパッと思い浮かぶ。それほど印象的なレースだったし、あの瞬間のショウワモダンは過去の名マイラーにも比肩しうる力があったといまだに信じている。