26万の瞳~1998年毎日王冠~

皆様は「G1以外で印象に残っているレース」というのはありますか?

好きな馬が勝ったレース。

万馬券を取ったレース。

応援していた馬の子のデビュー戦。

人によっていろいろあるとは思います。

その中でも1998年の毎日王冠は多くの人が上げるレースであることは異論ないと思います。

実際、このレースに関するクイズをTwitterで出題したところ、これまでのクイズと比べ物にならないくらい多くの方に回答いただき、リツイートもしていただきました。(誠にありがとうございます。)

本日のブログでは、この「1998年毎日王冠」について語っていきたいと思います。

そして、今回のブログでは大澄晴香ちゃんはお休みです。晴香ちゃんファンの方申し訳ございません。<(_ _)>

アメリカ遠征も視野に入れるグランプリホース

1998年、一頭の逃げ馬が競馬界に震撼を与え続けていた。

その馬の名はサイレンススズカ。

3歳時(旧表記で4歳時)はその有り余る才能を生かしきれていない感のあった同馬は、年が明けると武豊騎手のとった「スピードの違いでとにかく逃げて、中盤少し緩めて直線再加速する」という戦法がハマり連勝を続けていた。

その逃げは当時としては破滅的ともいえるもので1000m通過タイムが58秒台は当たり前、時には57秒台にも達するようなハイペースを作り出すものだった。

普通の馬なら直線で脚が上がり、歩くような速度になってもおかしくないペース。だが、サイレンススズカはそのほとんどのレースで涼しい顔をしながらゴールを駆け抜けていた。

現代競馬において重要視される「戦法」というものをおおよそ無視したレースぶりは人々に「史上最強では?」と思わせるのに十分だった。

そのサイレンススズカが、5連勝で宝塚記念を制し、秋の初戦に選んだのが毎日王冠だった。当時の陣営は、秋の天皇賞、ジャパンカップと走りアメリカ遠征の青写真まで描いていた。

さらなる飛躍を目指す無敗の3歳馬2頭

そんな怪物に2頭の3歳馬が挑戦状をたたきつけた。

一頭はグラスワンダー。前年の2歳(旧表記で3歳)チャンピオンで、朝日杯ではリンドシェーバーの持つ2歳コースレコードを0.4秒破る完勝で「新しい栗毛の怪物」と評された。明け3歳になって骨折が判明したため、長らくレースから離れていたが、それも癒えここを復帰戦に選んできた。

もう一頭はエルコンドルパサー。ダートでデビューした後、芝に転戦しても連勝を続けNHKマイルカップを制覇。秋は新たに長い距離のレースも視野に入れ、芝では初となる1800m戦への出走に踏み切った。

いずれもいまだ負けを知らない強豪で、さしずめ高校野球のスーパースター2人がプロ野球のタイトルホルダーに挑むような構図。競馬ファンはレースの日が近づく前から盛り上がりを見せていた。

レース前最大の関心事は「的場均はどちらを選ぶのか?」だった。

グラスワンダーとエルコンドルパサーはいずれも主戦騎手が関東のベテラン的場均騎手であり、どちらかの騎乗を断らなければならなかった。

このクラスの馬であれば、G1で何度も対戦が予想され、「今回だけは別の騎手で…」というレベルの馬ではなかった。つまり、的場騎手は「一度降りてしまえばその馬には生涯乗れない」という覚悟を持って選ぶ必要がある二者択一を迫られることになったのだ。

的場騎手は、本当に最後まで悩んでおり、家族に「絶対的な能力はどちらが上か」と尋ねられると「どっちとも言えないくらい、どっちも走る。どっちって分かれば、答えは簡単なんだ。どちらが凄いか分からないから辛いんだ」と答えたという。

そこまで悩み抜いた的場騎手が最後に選んだのはグラスワンダーの方だった。そのことも影響してか、当日の人気はグラスワンダーが2番人気、エルコンドルパサーが3番人気と、10か月ぶりのレースにも関わらず人気の上ではグラスワンダーがエルコンドルパサーをしのぐ形になった。

レース当日。G1級の熱気に包まれる東京競馬場

レース当日。東京競馬場には「世紀の対決」と言っても差し支えないであろうこのレースを見に13万人もの人が訪れた。

ファンファーレが鳴ると、まるでG1かのような歓声が沸き、自然発生的に手拍子も鳴り響いた。これから天皇賞やジャパンカップが始まるんじゃないかという雰囲気だった。

26万の瞳が注がれる中ゲートが開くとややグラスワンダーが出負け。サイレンススズカはいつものように速やかに、静かに先頭に立つ。エルコンドルパサーもついていかんとする素振りもあったが、この日から鞍上に座る蛯名正義の手綱によってグッと抑えられ、好位4番手の位置を確保した。

800mの通過タイムは46.0。決して遅くない、いや、速いと言っても過言ではないペースだったが、1800mとやや距離が短かったこと、後ろの馬も「易々と逃がしては勝てない」と判断したこともあってか、これまでの大逃げのような形にはならなかった。

3コーナー。いつものサイレンススズカであれば、この辺りでほんの少しペースを緩めるところだったが、「そうはさせじ」とグラスワンダーと的場騎手が早めに捲る。実際、連勝中でも3コーナーから4コーナーにかけては大体12秒台半ば~後半のラップを踏んでいるのだが、この日は12.1までしか緩めることが出来ないまま最後の直線を迎えることになる。

最後の直線の入り口で、サイレンススズカはコーナーリングを利用し、再び後続とのリードを広げる。

残り400mで「逃げて差す」と評されたサイレンススズカがスパートをかけると再び後続との差は開いていく。かろうじてエルコンドルパサーがなんとか抵抗しようとするが、それでも差は詰まらない。グラスワンダーは休み明けの影響か、それとも早めに捲った影響か、直線半ばには脚をなくしていた。

残り100mを過ぎた所からエルコンドルパサーがサイレンススズカとの差を徐々に詰めるも時すでに遅し。既にセーフティーリードを作っていたサイレンススズカを捕らえるまでには至らなかった。

サイレンススズカ完勝!古馬の意地を見せつける形になった。

正直筆者はサイレンススズカに対し、あまり良い印象は持っていなかった。当時の筆者の推し馬であったトーヨーレインボーを金鯱賞で完膚なきまでやっつけた憎っくき相手だったからだ。(サイレンススズカファンの皆様申し訳ございません。<(_ _)>)

ただ、このレースを見て「あっ。こいつはどうしようもねぇわ。」と思ったし、「秋の天皇賞もこの馬が勝つだろう」と確信した。アンチにさえそう思わせるほどのレースぶりだった。

3頭の「その後」

その後、エルコンドルパサーはジャパンカップに参戦。スペシャルウィークやエアグルーヴといった強豪を退けこれを制すると、翌年はヨーロッパに遠征。2勝2着2回の好成績を残し、世界最高峰のレースとされる凱旋門賞でも、日本馬で初めて2着に入るなど、日本競馬のレベルの高さを証明した。

グラスワンダーは、毎日王冠5着に続き、次走のアルゼンチン共和国杯でも6着に敗れ「早熟説」が囁かれた。

「エルコンドルパサーを選ばなかった的場均の決断は間違いだったのではないか」とも言われ始めた有馬記念。4コーナー抜群の手応えで捲ってくるグラスワンダーの姿があった。早熟説を払拭する鮮やかな復活劇。その後もグランプリレース(宝塚記念、有馬記念)を3連覇。種牡馬としてもジャパンカップを制したスクリーンヒーローを輩出し、その血はモーリス等に受け継がれている。

サイレンススズカは、圧倒的1番人気で迎えた秋の天皇賞で骨折。帰らぬ馬となったが、その走りはいまだにファンの脳裏に焼き付いている。

3頭が3頭とも競馬史を彩る名馬となり、その3頭が唯一顔をあわせたこの毎日王冠は20年以上経ったいまでもなお「伝説のG2」として色褪せないのである。

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