京都ダート1800mのスペシャリスト~スマートボーイ~
こんちわ~す。館山速人で~す。
アシスタントの大澄晴香です。今週はG1こそありませんが土日合わせて4重賞。豪華な週末になりそうですね。
そうだね。その中でも俺っちが注目しているのはみやこS。チャンピオンズC(←このレース名慣れねぇなぁ)の前哨戦になるからね。
ところで、みやこSが行われる「京都ダート1800m」という条件なんだけど、その昔、この条件だけで重賞を4勝もしたいわば京都ダート1800mのスペシャリストとでも言うべき馬がいたのを知ってるかい。
京都ダート1800mってそれほど多くの重賞もない中で4勝は凄いですね!なんていう馬ですか?
その馬の名は
スマートボーイ
という事で、今日は(俺は)名馬(だと思う)物語としてこのスマートボーイを紹介していくよ。
2つの意味で転機となった噴火湾特別
スマートボーイが1997年の夏に旧年齢表記の3歳新馬戦でデビュー。3戦目に初勝利をあげると、スピードを生かす意味もあってか短距離のレースを中心に使われていたんだ。
当時のスマートボーイ……と言ってもこの傾向は現役引退まで変わらなかったんだけど、生粋の逃げ馬で、すんなり逃げられればしぶとさを発揮するんだけど、ハナに立てなかったり、気分が乗らないと惨敗もしてしまう馬だったんだ。
実際、JRA-VANのデータを見てみると、生涯勝利した11レースの全ての通過順位が1で埋め尽くされている。
それもあってか、他にも速い馬がいる短距離ではなかなか思うような結果が出せず、5歳春(現年齢表記で4歳春)時点では3勝止まりだったんだ。
そんなスマートボーイに5歳の夏、函館の噴火湾特別を4馬身差で快勝したことで大きな転機が2つ訪れた。
ひとつは、このレースで初めて「1700m」という距離で結果を残したこと。距離に目途が立ったことで、この後のレース選択の中心は1600m~1800mの中距離が中心になっていく。
短距離だとなかなか先手が奪えなかったスマートボーイも中距離だとペースが緩む分先手を取りやすくなり、コンスタントに結果を残すことが出来るようになっていった。
もうひとつは、このレースで3度目の騎乗となった伊藤直人騎手がその後も主戦として乗るようになったこと。気性に難しい所のあるスマートボーイにとって、鞍上を固定できるようになったことは大きかったようで、その後の勝利全てを伊藤直人騎手で上げ、名コンビとしてファンに愛された。のだが、それらはもう少し先の話である。
ダート路線の注目馬に浮上
噴火湾特別を勝った年の12月から翌年1月にかけて、1600万を連勝。距離は1800m。この頃のスマートボーイはダート中距離の新星として開眼しつつあった。
1400mのすばるS12着を挟んで、仁川S(1800m)、マーチS(1800m)で連続2着。オープン、重賞でも通用する力があるところを見せつけると、続くアンタレスSで重賞初制覇。前半半マイル48秒ちょうどと言う軽快なペースで逃げると、最後までそのスピードを持続し後続に3馬身差をつけるという強い勝ちっぷり。当時、アンタレスSが行われた京都1800mのスペシャリストとして今後名を馳せていくようになる馬らしい勝ちっぷりだった。
成績は安定しなかったが京都ダート1800mでは強さを発揮
その後のスマートボーイは逃げ馬らしいと言えばらしい乱高下のある成績だったものの、自分の得意とするダート1800m、特に京都ダート1800mではキッチリと結果を残す馬となっていった。
そんな彼にG1をとる最大のチャンスが巡ってきたのが2002年のJCダート。例年は2100mで行われるこのレースが先にも述べた東京競馬場の改修により中山ダート1800mで行わることになっていた。
この舞台は京都ほどではないにしても、マーチSで2着が2度ある舞台。彼の軽快な逃げに期待した人もいただろう。
結果はまさかの出遅れから、追い込む競馬を試みて7着。気分屋の彼らしい結果とも言えるのではないだろうか。
2000年~2003年の間、中央競馬で行わたダート1800mの古馬重賞は、恒常的に行われていた平安S(京都)、マーチS(中山)、アンタレスS(京都)の3レースに、2002年秋~2003年に東京競馬場改修のために中山で行われた武蔵野S、ジャパンカップダート、フェブラリーSの3レースの述べ15レース。
その内スマートボーイは1600万を勝ち上がったばかりでローテーションが厳しかった2000年の平安S以外の14レースすべてに出走し、5勝2着2回という好成績を残した。
とりわけ京都ダート1800mの重賞に関しては、7戦して4勝。それだけに今でも「京都ダート1800m」と言えば彼のことを思い出す人も多いのではなかろうか。