三冠挑戦物語~オルフェーヴル編~

こんちわ~す。館山速人で~す。

アシスタントの大澄晴香です。今日から短期集中連載「三冠挑戦物語」の牡馬編のスタートです。今日紹介する馬はどの馬でしょう?

今日は2011年の三冠馬

オルフェーヴル

を紹介するよ。

強さの面でもそれ以外の面でも伝説になっている名馬ですね。

阪神大賞典の逸走とか凱旋門賞をゴール寸前のところで獲り逃すとかね。まぁ今回話すのは3歳時代のことになるけど。

では早速お話を伺っていきましょう。

クラシック前

この年のクラシックは2歳G1朝日杯の覇者グランプリボスと2着のリアルインパクトがマイル路線に舵を切った上、毎年クラシック候補を送り出すことで知られる暮れのラジオNIKKEI杯2歳Sの覇者ダノンバラードが次走共同通信杯で9着と惨敗。その他の重賞を見てもシンザン記念、毎日杯をクラシックに出走が認められていない騙馬のレッドデイヴィスが連勝するなど傑出した馬がおらず混迷を極めていた。

その上この年はちょうど東日本大震災があった年で開催日程が大幅に変更され、皐月賞が23年ぶりに東京開催になるなど何が起きても不思議じゃないというムードだった。

皐月賞・ダービー

迎えた皐月賞。1番人気は朝日杯1番人気だったサダムパテック。前哨戦の弥生賞を勝っての参戦だった。2番人気はナカヤマナイトで皐月賞まで一度も馬券圏内を外していない安定感が評価されていた。3番人気はベルシャザール。当時まだオープン特別だったホープフルSの勝ち馬でスプリングS2着からの参戦だった。

オルフェーヴルはこの時まだあんまり人気がなかったんですね。

この時は上記3頭に続く4番人気だった。とは言え今見てみるとこの人気も結構不思議だね。スプリングSを1番人気で勝ったオルフェーヴルが4番人気で、同じレース4番人気で2着だったベルシャザールが3番人気なんだから。

館山さんの本命はどの馬だったんですか?

正直よく覚えてないんだよねぇ~。確かサダムパテックだった気はする。間違いなく言えるのは「よし!この馬で決まりや!」みたいな自信を持った本命ではなくて、「う~ん。この中なら強いて言えばこの馬かな?」みたいな押し出された本命だったこと。多分多くの人がそんな感じだったんじゃないかなぁ~。

終わってみればオルフェーヴルが3馬身差の完勝。これで「あぁ今年のクラシックはこの馬が中心で進んでいくんだ」と誰もが思った一戦だったよ。

この1戦で「覚醒」したと言う事でしょうか?

いや、俺っちはこれは「成長」だと思ってる。クラシックを勝つ馬の中には3月から4月にかけて短期間で物凄く良くなる馬がたまにいるんだよね。キングカメハメハもそうだったし、ディープスカイもそう。この馬もそういうタイプだったんじゃないかなぁ。

続くダービーは当然のようにオルフェーヴルが単勝オッズ3.0倍で1番人気。

それでもまだ3.0倍なんですね。

今考えたら結構おいしいオッズだよね。2番人気が皐月賞1番人気だったサダムパテックで3番人気が皐月賞4着のデボネア。この馬が俺っちの本命だった。

また急に耳なじみのない馬が出てきましたね。

この馬は俺っちが推していることからもわかる通りアグネスタキオン産駒で京成杯2着、弥生賞3着、皐月賞4着と勝ちきれないところがあったけれど、タップダンスシチーやアーネストリーとのコンビで知られる勝負師・佐藤哲三が手塩にかけてこの馬を仕上げているというのが噂になっていて「潜在能力は相当なのでは?」と期待されていた馬だったんだよ。

なるほど、それが人気の秘密だったんですね。

いや、実はそういうわけじゃない。このデボネア、馬主はシェイク=モハメド殿下。そのモハメド殿下がダービー当日に自分たちの専属騎手である当時から世界のトップジョッキーと誉れ高いランフランコ=デットーリ騎手を短期免許で呼び寄せたんだ。

さすがアラブの王様。やることのスケールが違いますね。

うん。当時から日本でも「乗ると5馬身違う」と伝説になっていたジョッキー、ジャパンカップ3勝と実績も十分だった。そんなみんなの期待が「3番人気」と言う形になって表れたんだね。当時は「日本ダービーにデットーリが乗りに来る!!」と話題騒然だったから。個人的にはそのことにワクワクしていた部分もあるんだけど、「この馬は佐藤哲三で行って欲しかったな」と言う何とも複雑な思いだったよ。

その時のことは過去のブログでも触れてるから、それも是非見てほしいっす。

※余談…ちなみに10月13日に発売された「サラブレ 11月号」でこの時のことについて佐藤哲三元騎手本人が少しだけ語っています。それを読んだ感想は(あくまでデボネアについて語っている部分は)「ホンマかいな⁉」でした。まぁそれくらい「アーネストリーで勝った宝塚記念の勝利騎手インタビュー」はキレキレだったわけで……。競馬ファンの方でこの時のことを覚えてらっしゃる方は是非読むことをおすすめします。

雨が降りしきる東京競馬場を金色の馬体を泥だらけにしてオルフェーヴルが真一文字に抜け出してきた時は改めて「えっ⁉この馬こんなに強かったの⁉」と思ったね。

新緑の緑で走りやすい開幕週の馬場と雨で水分を含み重たくなった馬場、両方で圧勝劇を演じたわけだからね。もうこの馬の実力を疑う人はいなくなったんじゃないかな。

三冠のかかる菊花賞

秋初戦の神戸新聞杯も快勝したオルフェーヴルは何の不安もなく菊花賞へ駒を進めた。

「何の不安もなく」ってのがオルフェーヴルっぽくないですが……。

まぁデビュー戦で騎手を振り落としたりはあったけどこの時のオルフェーヴルはまだわかりやすく「やらかす」ことはなかったからね。それは同じステイゴールド産駒のゴールドシップにも言えるけど……。

普通古馬になったら落ち着きそうなものですがねぇ~。

ホンマそれ!ステイゴールド産駒は、なぜか古馬になってから人間の理屈で言う「難儀な馬」になっていく印象。もしかしたら長く生きてると「あっ、人間って思ってるほど賢くないな。これ俺たちの方が賢いんじゃね⁉」って気づいてくるから言う事を聞かなくなったりするのかもしれないけどね。

閑話休題。話を戻そう。この時のオルフェーヴルの単勝オッズは1.4倍。2番人気がウインバリアシオン7.8倍だから割と圧倒的な人気だった。この時はさすがに俺っちもオルフェーヴルが本命だったよ。

レースもオルフェーヴルの独壇場で3角から4角外をまくって上がっていくと、直線は後続をちぎって最後は流す余裕もあった。過去の三冠馬に比べても遜色のないポテンシャルを見せつけるレースだった。

ケチのつけようのない圧勝ですね。

これだけで終わればカッコいいんだけど、最後の最後止まった時に池添謙一騎手を振り落とすのがオルフェーヴルらしい。そういう破天荒なところが「暴君」とも呼ばれるようになった由縁だよ。

その後

その後についてはここまでの説明でも出てきているけど、阪神大賞典で逸走したり、その後の天皇賞春で大敗したり、凱旋門賞勝利直前に内にササって勝利を逃したりしながら、「強さ」と「危うさ」が同居した稀有な名馬として輝いた。中にはディープインパクトやシンボリルドルフではなくこの馬が最強馬と言う人もいるほどの走りを見せた歴史に残る名馬になった。

その子供もラッキーライラックやエポカドーロと活躍していますね。

一時は冷遇されている時期もあったみたいだけど、そういう時こそ必ず反発して大活躍するのがステイゴールドの血の特徴だからね。ここから種牡馬として更なる期待をかけても良いんじゃないかなぁ。