【ウマ娘】競馬初心者のためのウマ娘講座~第6話「なんのために」~【考察】

こんちわ~す。館山速人で~す。

今日は火曜日恒例の「競馬初心者のためのウマ娘講座」の第6回です。
第1回~第5回のブログは以下にリンクよりご確認ください。
第1回「トウカイテイオー」
第2回「譲れないから」
第3回「出会い」
第4回「TM対決」

第5回「無敗と連覇」

↓↓↓ウマ娘 プリティーダービーSeason2のご視聴はこちらから↓↓↓

第6話「なんのために」より

トウカイテイオーのケガ

この時のトウカイテイオーのケガは史実では「右前脚剝離骨折」と言う診断を受けています。
このケガは1年近い休養を余儀なくされたダービー直後の骨折と比べると軽度なもので、史実では5か月ほどの休養でレースに復帰しています。

メジロマックイーンのケガ

一方のメジロマックイーンのケガは「左前脚部第一指節種子骨骨折」と言うケガでトウカイテイオーに比べると重症。
アニメでは「全治6か月」と言う診断が下っていますが、史実ではレース復帰までに約10か月かかっています。

1992年の競馬界

ストーリーの都合もあってか、天皇賞春以降の1992年のレースは大幅にカットされていました。
競馬ファンとしては少し寂しい部分もあったので、このブログでは主要なレースの振り返りを行っていきたいと思います。

1992年日本ダービー

この年のダービーはミホノブルボンの独壇場といった内容でした。

皐月賞からさらに400m距離が延びるレースにもかかわらず、ミホノブルボンはこれまでと同じように快速を生かした逃げの戦法を選択。
スタートからゴールまで一度も先頭を譲ることなく4馬身差で逃げ切っています。

2着はライスシャワー。
皐月賞では1.4秒だったミホノブルボンとの差を0.7秒まで詰めてきており、距離が延びるごとに徐々に力の差を埋めてきていました。
余談ですが、ライスシャワーは幼駒時代から牧場関係者の間で評判が良かったらしく、牧場従業員へのボーナスを日本ダービーのミホノブルボン-ライスシャワーの馬券で渡したと言う都市伝説もあるほどです(ちなみに当時のライスシャワーは単勝14番人気と言う人気薄で馬連の配当は295.8倍。2000円以上で買っていればそれなりの額にはなりそうです)。

この他のウマ娘関連馬では、アニメでチームカノープスに所属するマチカネタンホイザが出走し4着でした。

1992年宝塚記念

メジロマックイーンとトウカイテイオー不在で行われたこの年の宝塚記念はウマ娘にも登場しているメジロパーマーとダイタクヘリオスが逃げる形でレースが進みました。

1000m通過タイムは1.02.4。普通ならばそれほどにハイペースと言うわけではありませんが、この日は雨の影響を受け水分を含んだ重たい馬場でレースが行われたこともあって、「タフさ」のない馬は早くから次々と脱落していく展開に。

そんな展開を最後まで耐えきったのがメジロパーマーでした。
ゴール前はフラフラになりながらも、最後まで先頭を譲ることなく初めてのG1制覇。ここまで一度は障害競走への転向までした苦労人?が報われた格好です。

ちなみにメジロパーマーの「ずっ友」、もとい「逃げ友」のダイタクヘリオスは5着でした。

1992年天皇賞秋

このレースもメジロパーマー・ダイタクヘリオスの「逃げ友」コンビがレースをかき回します。
この2頭が引っ張ったレースの1000m通過タイムは57.5。
ウマ娘から競馬を知った方にわかりやすく説明すると、Season1の第7話で描かれたサイレンススズカが大逃げでレースを引っ張った98年の天皇賞秋の1000m通過タイムが57.4。
これだけでどれだけのハイペースだったかわかると思います。

さすがにハイペース過ぎたのか、逃げたメジロパーマーは4角手前で早々に失速。メジロパーマーと一緒に逃げていたダイタクヘリオスをそれをすぐ後ろで追走していたトウカイテイオーが捕らえにかかり、その外からナイスネイチャを筆頭とする中団から競馬をした差し馬たちが襲い掛かってきたのが残り200m地点。

しかし、残り200mから様相は一変。
後方で最後の最後まで脚を温存していた人気薄の2頭、レッツゴーターキンとムービースターが大外から一気に馬群を飲み込み、最後はレッツゴーターキンがこの激戦を制しました。

このレースはウマ娘の放映開始後に改めて見返したんですが、それぞれ7着と8着に敗れたとはいえトウカイテイオーとダイタクヘリオスがすごく強い競馬をしているなと思いました。

1000m通過タイム57.5は馬場の発育・管理技術が発達し、格段に走りやすくなってタイムが上がった現代競馬の基準に照らし合わせてもハイペースと言えるレース。当時の馬場状態を考えると狂気的なハイペースと言えるんじゃないかと思います。

そのペースを前目で競馬しながら、残り200mまで先頭争いをしていたトウカイテイオーとダイタクヘリオスはとてつもなく濃い内容の競馬をしており、今の知識を持った俺っちが当時の馬券を買えたらこの2頭の次走は全ツッパしてるでしょうね(笑)。

1992年菊花賞

この年の菊花賞の焦点はウマ娘にも描かれているとおり
「ミホノブルボンが三冠を達成できるかどうか」
が中心でした。

レースでは、戦前から「ミホノブルボンのハナを叩く(※)。」と宣言したキョウエイボーガンが逃げる形になり、ミホノブルボンは三冠で始めて「逃げ」以外の競馬でレースを進めることになります。

※ハナを叩く…「ハナを切る」が「逃げる」という意味を持つ競馬用語。「ハナを叩く」の場合「(他の逃げ馬が競りかけてきても)譲らずに逃げる」と言うニュアンスになります。

4角手前でミホノブルボンが先頭に立つと、それを見る形でライスシャワーとマチカネタンホイザがスパート。
直線はこの3頭が後続を大きく引き離す展開になります。

決して適距離とは言えない3000mの戦い(※)で、それでも必死で逃げ切りを図るミホノブルボン。しかし残り100mと言うところで得意の長距離戦でミホノブルボン負かすべく牙を研いでいたライスシャワーに差し切られ、無敗の三冠は夢と消えました。

※決して適距離とは言えない3000m…以前筆者はテレビでやってた「名馬物語」かなんかで調教師の戸山為夫氏が「ブルボンは3000m走りたいなんて思ってない。(2000mの天皇賞でなく3000mの菊花賞で三冠を狙うのは)人間の欲ですよ。」と話しているのがなぜかすごく印象に残っています。ちなみにこの戸山氏は翌年の5月に鬼籍に入っています。

また、アニメでは会場の雰囲気がライスシャワーの勝利を讃えると言うより、ミホノブルボンが三冠を達成できなかった落胆のムードの方が大きいように映っていますが、実際の史実も競馬ファンはそういうムードだったらしく、ここからライスシャワーに対してはヒールと言う印象を持つ人も増えていったようです。

そんなライスシャワーについて知りたい人は以前にブログを書いていますので、そちらも読んでみてください(`・ω・´)b。

1992年ジャパンカップ

正直言うとこのレースは是非アニメ化して欲しかったレースなのですが……、構成上の都合でしょうし仕方ありませんね。

ただ、アニメ化するにあたって時系列を組み替えて放送している可能性もあるので、それを考慮に入れている人で、かつネタバレを望まない人はここの項目は飛ばされた方が良いかもしれません。

ネタバレを嫌う人が流れで読んでしまわないために、でっかいアフィリエイト広告を入れてみましたが大丈夫ですね。
話しますよ。

では話します。
結論から言いますと、このジャパンカップ、トウカイテイオーは勝ちます。

このレースでトウカイテイオーは単勝1番人気になっていません。これはトウカイテイオーにとってデビュー2戦目のシクラメンS以来生涯2度目の事でした。

原因は2つ。
ひとつは天皇賞の敗戦でトウカイテイオー自身の評価がやや落ちていたこと。
もうひとつはその年のジャパンカップのメンバーがあまりにも豪華だったことがあげられます。

具体的にメンバーを紹介すると、ヨーロッパ競馬界最高峰のレースのひとつであるイギリスダービーを制した馬が2頭(ドクターデヴィアス、クエストフォーフェイム)、2か国でオークスを制覇し、ヨーロッパ競馬でその年最も活躍した馬を表彰するカルティエ賞で1992年年度代表馬に輝くことになるユーザーフレンドリー、オーストラリアの年度代表馬レッツイロープ、アメリカ競馬の芝トップレースのひとつであるアーリントンミリオンを制したフランスのディアドクターなどが出走しており、当時は「史上最高のメンバー」と呼ばれていました。

そんなメンバーを向こうに回して、トウカイテイオーは好位の5番手から競馬を進め、今にも弾けんばかりの抜群の手応えで直線を向き、粘るオーストラリア代表馬ナチュラリズムをゴール寸前でとらえて差し切り勝ち。
鞍上のベテラン岡部幸雄騎手が珍しくガッツポーズを見せる会心の勝利で、シンボリルドルフに続く「ジャパンカップ親子制覇」を達成しました。

1992年有馬記念

こちらはウマ娘でも描写があったレース。この年の有馬記念でも「逃げ友」コンビ、メジロパーマーとダイタクヘリオスがレースに波乱をもたらします。

1周目のスタンド前まではそれほどでもなかったものの、1角手前でダイタクヘリオスが競りかけてくるとそこからメジロパーマーとダイタクヘリオスが後続を大きく引き離す大逃げ、いやウマ娘の言葉を借りるなら爆逃げの展開に。
どれくらいの逃げだったかと言うと3コーナーで馬群のアップを映す際にメジロパーマーとダイタクヘリオスは映らなかったくらい。

これだけの大逃げになったのも、天皇賞のハイペースで「ついていったらこっちが潰される」と後方の騎手が考えていたこと、またそれでなくてもメジロパーマーの宝塚記念での激走がフロック、いわゆるマグレだと思われていたことから「どうせ勝手につぶれてくれるだろう」と言う読みもあったのだと思います。

しかし、そんな後続の騎手の思いとは裏腹にメジロパーマーは4コーナーのコーナーリングで後続との差をさらに引き離すと、宝塚記念と同様、最後はバタバタになりながらもレガシーワールドの猛追を振り切り春の宝塚記念に続くグランプリ春秋連覇を達成しました。

トウカイテイオーはスタートで出遅れた後、終始精彩を欠く走りで11着。鞍上の田原成貴騎手はこの時のトウカイテイオーについて「風船がしぼんだような状態だった」とコメントしています。それだけ激走の疲れが残っていたのでしょうか。

この後、トウカイテイオーは劇中の新聞にもある通り左中臀筋を痛めて休養に入ることになります。

他のウマ娘関連馬については、ナイスネイチャが3着(2年連続2回目)、イクノディクタスが7着、ライスシャワーが8着、ダイタクヘリオスが12着でした。

なんかこの回だけ見ると「ダイタクヘリオスはメジロパーマーのかませ犬」みたいに映る人もいると思いますが、ダイタクヘリオスの本領が発揮されるのは宝塚記念(2200m)や、天皇賞秋(2000m)、有馬記念(2500m)と言ったレースより長い距離のレースではなく1600m前後の短距離戦。
実際1992年も、秋のマイル王を決めるマイルチャンピオンシップを前年に続き制覇しており、短距離のトップホースの一頭だったと言う事は彼女?の名誉のためにも覚えておいてください。

トウカイテイオーの走る目的

今回のストーリーで最大のテーマとなっていた「トウカイテイオーの走る目的」。
これはあくまで個人的な感想に過ぎないのですが、
この「トウカイテイオーの走る目的の変化」が
ファンの「トウカイテイオーのイメージの変化」
をイメージしている気がします。

ウマ娘のストーリー上ではトウカイテイオーは、はじめ憧れのシンボリルドルフのようなウマ娘になるべく、ルドルフがそうであったように「無敗の三冠馬」を目指しており、ケガによりその望みが絶たれると、今度はルドルフでも成しえなかった「生涯無敗」を目標として掲げるようになります。

「目標とする者がいる」と言う事は素晴らしいことですが、それは裏を返せば「自分自身の確たるアイデンティティがない」と言う事にも繋がるのではないでしょうか。
実際、この第6話でトウカイテイオーは自分自身の走る理由を見失いスランプに陥っています。

一方、現実のトウカイテイオーはと言いますと、トウカイテイオー自身が父親であるルドルフのことを意識するなんてことはないでしょうが、観ているファンの間では、少なからずトウカイテイオーの事を父親であるシンボリルドルフの物語の延長線上にとらえている人も多かったのではないでしょうか?
俺っちはトウカイテイオーが現役の頃の空気感を体験出来てはいませんが、競馬の書物や回想番組を見ているとそう感じる部分も多々ありました。
要するにトウカイテイオーを「2代目のお坊ちゃん」と捉えた見方です。

しかし、天皇賞春でメジロマックイーンに敗れた後のトウカイテイオーの物語は「何度挫折しても這い上がってくる不屈の馬」と言うイメージでステレオタイプ的な「2代目のお坊ちゃん」像とはかけ離れたものであり、これがトウカイテイオー自身のイメージとして定着していった。つまり「ルドルフ2世物語」から「トウカイテイオー物語」へとハッキリと書き換わったと言う感じでしょうか。

個人的には先述の天皇賞秋やジャパンカップも描いて欲しかったことは否めません。とは言えウマ娘第6話はトウカイテイオー自身の走る目的と世間のイメージを上手くリンクさせて昇華した回と言えるのではないでしょうか。