(俺は)名馬(だと思う)物語~ショウナンタキオン~

こんちわ~す。館山速人で~す。

アシスタントの大澄晴香です。お久しぶりですね。館山さん。

えっ、そうだっけ?

そうですよ。先週は「5本記事を上げる」宣言をしておきながら結局3本しか記事を上げられませんでしたよね。

そんな昔の事は忘れたよ。HaHaHaHaHa(∩´∀`)∩

もう、本当に無責任なんですから。まぁ、いいです。気を取り直していきましょう。今日の企画は何ですか?

今日は(俺は)名馬(だと思う)物語を書いていくよ。今日取り上げるのは

ショウナンタキオン

だよ。

なるほど。アグネスタキオン産駒ですね。

おぉ、晴香ちゃん!よくわかったね!!ちょっとは競馬の事がわかってきたのかな?

そりゃぁ、名前と館山さんの過去のアグネスタキオン贔屓の発言を見ていれば何となく察しは付きます。

なるほど!俺っちの事がわかってきたってわけね。

………。ちょっと気持ち悪いです。

なんでやねん。(゚Д゚)ノ

まぁいいや。じゃあ早速はじめるよ。

待ちわびたアグネスタキオン初年度産駒

これまで何度か話してきたように、俺っちにとっては「アグネスタキオン」というのは本当に特別な馬で、ここまで競馬にのめりこむきっかけになった馬だし、いまだに史上最高の馬だったと信じてる。

現役時代は4戦しか出来ず、「三冠」や「凱旋門賞」も夢見ていた俺っちにとっては口惜しさが残る結果になったけど、それは産駒に埋めてもらおうと思っていたんだ。

迎えた2005年。いよいよ初年度産駒がデビューすることになったんだ。

その1頭がショウナンタキオンだったわけですね。

その通り。

ショウナンタキオンはお父さんそっくりな栗毛の馬体で、首を上手に使った推進力のあるフォームが売りだった。

その頃、俺っちは新馬戦でアグネスタキオンの子供が出るたびに必ずチェックしていたから、この馬の新馬戦も当然見ていた。

今でも館山さん、母父アグネスタキオンの新馬はチェックしてますもんね。

ショウナンタキオンのデビュー戦。スタートダッシュが今一つで後方からのレースになったんだけど、4コーナーの入り口からまくり気味に上がっていくと、直線弾けるように抜け出して一気の差し切り勝ち。

俺っちはこれを見て改めて「アグネスタキオンすげぇーー!!」とテンションが上がったし、同時にショウナンタキオンの未来に希望しか感じていなかったよ。

新潟2歳Sで見せた「沈み込むフォーム」は期待を確信へと変えた

続く新潟2歳Sでは、多くのファンも俺っちと同じように感じたのか、ショウナンタキオンは1番人気に支持された。

この日もショウナンタキオンは後方からレースを進めた。

道中どこかのタイミングで、ショウナンタキオンの走るフォームがグイッと首を低くして推進力を感じさせるフォームに変わる瞬間があるんだけど、その瞬間に俺っちはショウナンタキオンはまだ後方にいるにもかかわらず「あっ。勝ったな」と確信したんだ。

直線は雨の影響で重馬場になっていた影響もあって、外に目いっぱい広がる展開。ショウナンタキオンは外ラチ沿いをその「推進力を感じさせるフォーム」で一気に伸びて5馬身差の圧勝!この瞬間俺っちは「来年のクラシックは見えた!!」と思ったよ。

13番オレンジの帽子がショウナンタキオンです。

あまりにも悲しすぎる終わり方

新潟2歳Sと言えばハープスターを思い浮かべる人も多いと思いますが、着差的にはハープスター以上ですね。

その後ショウナンタキオンはどうなったんですか?

うん。率直に言ってしまえば、これがショウナンタキオンが見せた最後の輝きになってしまったんだ。

この後、朝日杯→共同通信杯→皐月賞とクラシック王道路線を歩むも4着→4着→17着と結果は振るわず。1年の長期休養を挟んだ後は1000万条件を勝つのが関の山。やがて1600万でも2桁着順が続くようになってしまった。

あらあら。

その後8歳で迎えた魚沼S。俺っちはわずかながら「思い出の地新潟で目を覚まさないか」と期待していたんだ。

でも、現実は非情。ショウナンタキオンはそのレース中に左第1指関節脱臼を発症。予後不良となってしまったんだ。

悲しいですね。

でも、俺っちの中ではやっぱり新潟2歳Sでのショウナンタキオンの勝ちっぷりは忘れられないんだよ。

俺っちにとって「新潟2歳S」と言えば、ハープスターでもロードクエストでもなくショウナンタキオンなんだ。普通の競馬ファンにとっては取るに足りない馬かもしれないけどね。

館山さんの中では語り継いでいきたい馬ということなんですね。

うん。

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